大使公邸へ、ようこそ

Yemen

イエメンの伝統衣装を身につけたジャミラ夫人。黒、赤、黄の配色が華やかで婚礼にも使われる

妻として母として旅は続く
イエメンの誇りと柔軟な精神で
世界の平和を祈りつつ

駐日イエメン共和国臨時代理大使夫人

ジャミラ・モハメッド・アルージュナイドさん

Jamila Mohamed Al Gunaid

フダイダ出身。ヨルダン大学で生物学修士課程修了。 ヨルダン、イエメンの医療機関で働いた後、1997年夫の英国赴任に同行。2003年まで英国の公立小学校のアシスタントを務める。 2003年から2006年までイエメンのブリティッシュ・スクールでアシスタントを務める。オーストリア、ドイツへの赴任同行を経て、2014年7月より駐日臨時代理大使夫人として日本在住。 一男三女の母。

子育てしながら修士課程へ

東京・渋谷区内に佇む公邸。女性だけになると、ジャミラ・モハメッド・アルージュナイド駐日イエメン臨時代理大使夫人はヒジャブを外した。母はスペイン人である。

「でも、生まれも育ちもイエメン。私はイエメン人です」ときっぱり言う。

外交官の妻として30余年、各国での駐在生活を経験。「渋谷のスクランブル交差点で誰もぶつからないのが驚異的」な初めての日本は別世界のようにも感じられたが、「人々は謙虚で親切。イスラム教徒の外国人でも違和感はありません」と言う。

ヨルダン大学で生物学を学んだ。イエメンでは女の子の多くが10代半ばで結婚する伝統があり、教育機会との関係で問題になることもあるが、ジャミラ夫人の場合、大学在学中の19歳の時に、サミル・モハメッド・カミース現駐日イエメン臨時代理大使に求婚され、彼の留学先のヨルダンへ。

夫のサミル・モハメッド・カミース臨時代理大使と。夫とは小学校以来の同級生で、生涯を共に歩んできた
夫のサミル・モハメッド・カミース臨時代理大使と。夫とは小学校以来の同級生で、生涯を共に歩んできた
イエメンの男性は「勇気と誇り」のシンボルとして、伝統的にジャンビアと呼ばれる小刀を腰にさしている。左上は、ロック・パレスとも呼ばれるイエメンの代表的な建物ダル・アル・ハジャル宮殿のミニチュア
イエメンの男性は「勇気と誇り」のシンボルとして、伝統的にジャンビアと呼ばれる小刀を腰にさしている。左上は、ロック・パレスとも呼ばれるイエメンの代表的な建物ダル・アル・ハジャル宮殿のミニチュア

「父は娘を留学させるような人ではありませんでしたが、私は結婚のおかげで外国に行き、理解ある夫のおかげで勉学を続けることができました」

卒業直前に生まれた長男を筆頭に一男三女に恵まれる。数年の病院勤務を経て、ヨルダンの大学院に進み、3年がかりで修士資格を取得した時には、既に二児の母であり3人目をみごもっていた。研究室に遅くまで残って実験を続ける日々は並大抵ではなかったが、夫や母方の祖母をはじめ周囲のサポートでなんとか乗り切った。「一生懸命働く者は目標に到達する」という格言がアラビア語にもあるそうだ。

イエメンに帰国後は医療機関で仕事を続けていたジャミラ夫人だが、夫の英国赴任を機に退職した。

「私の決断です。家族のことが最優先ですし、夫はとても重要な仕事をしており、彼を支えることは私自身のキャリアよりも重要だと確信していました」

博士課程への進学も考えたが、4人の子供たちを抱えてはそれも困難と判断。

そこで、チャリティ・イベントなど、外交団の活動に積極的に参加するようになる。また、英国での6年間は、次女と三女が通う近所の公立小学校でボランティアのアシスタントを務めた。習熟度別の指導に感銘を受けたという。その後の赴任国でも、子供たちのおかげで現地の人々と家族ぐるみの交流に恵まれた。

休日には夫の運転でよくドライブした。

中でも最高だったのは、ドイツでの任期を終えてイエメンまで帰国した車の旅。

2010年夏に一家6人で、ベルリンからイタリア、トルコ、ヨルダンなどを経由し、28日かけてイエメンに到着した。

「『アラブの春』の直前、中東がまだ落ち着いていた最後の時期でしたね」とジャミラ夫人は振り返る。

相互理解のために献身

日本赴任までの数年間、イエメンでは政情不安が続き、ジャミラ夫人も電気や水に不自由する生活を経験した。内戦はいまだ終わらず、大使の肩書も「臨時代理大使」にならざるを得ないが、ほんの少しずつ事態好転の兆しが見えているという。

長男と長女はドバイで仕事に就き、次女はドイツに留学、三女はアラブ首長国連邦内の米国系の大学に在学中。イエメンの将来が不透明なため、今のところ外国にいる子供たちにいつも言っている。

「いつか祖国に戻り、それまでに経験したことを祖国に返しなさい」と。

2016年5月、アラブ大使夫人の会主催のチャリティ・イベントで、ジャミラ夫人は戦禍にあるイエメンの子供たちの現状を伝えるプレゼンテーションを行った。イベントの収益金はイエメン・サラセミア遺伝性血液疾患協会に寄付された。

ふと、歌うように日没を告げる声が公邸内のパソコンから流れてきた。祖国では幾多のモスクからの声が響き渡るのだという。折しもラマダン月。その日の断食を終えた身体を3粒のデーツとイエメン式のジュースで整えてから、夕刻の礼拝となる。

伝統の作法に則って共に祈りを捧げる夫妻の美しく敬虔な姿に心を打たれた。

イエメンの豊かな文化を知ってもらい、自分も日本の文化をもっと学びたいというジャミラ夫人。相互の理解が世界をより良い場所にすると信じている。

「何事にも献身と情熱をもって取り組むことです」

赴任各国で自分ができることを精いっぱいやってきた静かな自信が、穏やかな笑顔を内側から照らす。

取材・文/井内千穂 写真/三浦義昭