~「大和力」を世界に発信する~
Special Interview
小松美羽さん
「美しすぎる銅版画家」として2009年にメディアの注目を集めた小松美羽さん。
その美貌もさることながら、斬新な作品の数々は、日本はもちろんのこと海外でも愛されている。
有名庭園デザイナー石原和幸氏とコラボした有田焼の「狛犬」は、高い評価を受け大英博物館に収められた。
有田焼「狛犬」はアジア、アメリカや中東にも進出し、彼女の活躍はとどまることを知らない。
また、京都の老舗着物メーカーとオリジナルの浴衣や振り袖を制作。
「大和力(やまとぢから)を世界に」をテーマに、日本の伝統文化と現代美術を融合させ、世界に発信し続ける小松さんに話を聞いた。
神獣をテーマにした作品作りの原点
大胆な色使いや構図、カッと見開いた力強い目が印象的な神獣作品の数々。6月3日から11日まで東京ガーデンテラス紀尾井町の紀尾井カンファレンスで開催された『神獣~エリア21~ 』も大盛況に終わり、今や飛ぶ鳥を落とす勢いの新進気鋭アーティストである小松さん。
長野県坂城町という小さな山あいの町で生まれ育った。子どものころから平等意識が強く、区別や差別を嫌ったという。「私は差別する人間は嫌いだ、という作文を書いて先生に呼び出されたりする小学生でした」
「なんで動物と人間という区別があるのだろう、と考えていて。人間も動物の一種じゃないのか。ちょっと頭がいいだけで自分たちがすごいんじゃないか、という人間が嫌だった」と小松さん。
実家にはいろいろな種類の動物がいて、その動物の死に際にも遭遇した。そのとき「魂が抜ける瞬間」を経験したという。その後祖父の死に目に遭ったことが、小松さんの確固たる死生観を形づくっている。
「19歳のときに祖父が亡くなりました。祖父の死に立ち会ったのですが、動物たちが亡くなったときの魂が抜ける感じと人間(のそれ)とがまったく一緒に思えたのです」そのとき、人間も動物も死後の世界では平等だと感じた。「魂のレベルになったとき、肉体を捨てると、魂だけの純粋さや美しさみたいなものがあの世では問われるんだな、と思いました」
小松さんには、神獣は肉体ではなく魂などもっと純粋なところを見る生き物たち、との認識があり、「人間が忘れてしまいがちな、目に見えないものへの畏怖だったり尊敬だったりが地球を大切にすることにつながります。神獣は人間に近寄ってきてくれて、そういうことを(人間の)魂に問いかけてくれているんです」
さらには、「なぜ私は(祖父の)死に目に遭ったのだろう」と考えるようになった。死の瞬間に立ち会わなければならなかったことの裏には自分には何か役割があるのではないか、と感じたのだという。
「不謹慎なのですが、(祖父の)四十九日の際、絵の構図が浮かんできて仕方なかったのです。祖父の死に目を見て、どうすればいいんだろうと考えたとき、『四十九日』という作品を作ろうと思いました」
同作品は今でも小松さんの代表作品の一つとして展覧会に出展されている。
高校卒業とともに美術を学ぶために上京した小松さん。女子美術大学短期大学部に入学し、「神獣」という描きたいテーマを持ちつつ、何を媒体にして描けばいいのかわからない、という思いがあった。入学当初は洋画を専攻したが、最初の1週間で日本画などほかの手法も試すことができたので、本腰を入れて探してみた。
その中に銅版画のコースがあり、独特な油の厚みのある線に触れたときに「ずっとこういう線で描きたかったのだ」と鳥肌が立ったという。「探していた何か、というのはこれだ!と思いました」
その後、同大学に編入、計4年間銅版画を勉強した。
海外進出のきっかけとなった狛犬作品大英博物館に収蔵される
自身の作品群の中でも「狛犬」が一番大切なモチーフ、と語る小松さんは、狛犬研究家を自負するほどの狛犬好きでもある。
2015年の英国チェルシー・フラワー・ショーでゴールドメダルを受賞した庭園デザイナー石原和幸氏とのコラボでは、氏の『江戸の庭』で、作品の守り神となる一対の有田焼の狛犬を制作した。この狛犬が、有田焼誕生から400年を迎える絶妙なタイミングとも重なって、約800万点の作品が収蔵されている大英博物館のキュレーターの目に留まり、日本館に永久展示されることになる。
「紀元前のものがごろごろあるすごい博物館になぜ私の作品が?新手のどっきりなのではないか、と思ったりもしました(笑)。本当によくわからない、なんなのだろう、と」しかしそれ以来、海外に行くたびに狛犬をモチーフにしてきてよかった、と思うという小松さん。狛犬は、モーセの十戒に出てくる「契約の箱」の上部に置かれた一対のケルビムや、台湾などでも大切にされている守護獣ともルーツを同一にしているといわれる。スピリットや神獣はどこの国の人をも守る存在なのだと知り勉強になるのと同時に、それをきっかけにして海外の人とつながることができたという。
湧き出る創作意欲はスピリチュアルなところから
以前から年に何度か海外へ行く小松さんは、さまざまな場所で、もののけのようなものに遭遇する瞬間がある。日本はもちろん、カンボジア、スリランカ、イスラエルでも。すぐさまそれをスケッチしたり言葉にしたりして作品のアイデアとしてストックしている。
「神獣たちはいろいろな構図で描けるので、今のところ作品はすぐに出来上がります。創作は楽しいので全然つらくないです」
自身の故郷でも、幼いころからもののけのようなものに遭遇していた。「妹は信じてくれて、すごくありがたかったです。今は、信じてくれる人がたくさんいるからこうして展覧会もできます。そういうものを尊敬したり畏怖したりする気持ちを持つ人々がいて、この年になってどんどん仲間が増えてありがたいです」
大和力を武器に世界に発信
大和力をテーマにしている小松さんは、海外に出ると、日本人である自分を意識する。同時に、日本がいかに外国の影響を受けてきたのかも知るようになった。
中国や韓国の磁器文化があったから日本の磁器が育ったという例一つをとっても、日本美術の背景にはいろいろな国の影響があることがわかる。
「もっとたくさんの国の人たちとつながりたい。それがアートでできたらすごくうれしい」
語学力には自信がなく、外国人とは拙い英語で対話するのだが、「絵を楽しみに見てくれている人とは絵だけでつながれる」と思っている。
「海外でも獅子や守護獣みたいなものは何か悲しいことがあったとき、守ってくれるから」と小松さんはいう。
チャンスを逃さず海外への道筋を広げていく
これからはアジアやアメリカを中心に作品を展開していきたい、と考えている。今後の展望を聞くと、小松さんらしい謙虚な答えが返ってきた。
「天からの授かりものだと思ってやれば、意外と何でも頑張れる。どんな人も皆、絶対に宿命があるはずだから。私自身、実は画家とは思っていないのです。自分の作品を創ることが神様から与えられた役割だと思って、語学力もない私でも、少しずつ海外とつながっていけるのです。自分の役割が実感できれば、どんな国でも、人がいないような僻地でも、その役割を全うできるのかもしれません。これが、自分の人生の宿命なのかもしれません」
取材・文/丸子真美 写真/三浦義昭