自分でデザインした道を行く
今までもこれからも
BT ジャパン株式会社 代表取締役社長
吉田晴乃さん
変えたい社会があるなら、まず自分が変わる
華麗な経歴と容姿に彩られた吉田晴乃さん。しかし、意外にも開口一番、飛び出したのは、「いえ、私はずっと、裏街道まっしぐらの人生だったんです」という言葉だった。
バブル時代に大学卒業と同時に就職予定だったのは、親のコネで決まっていた大企業。しかし卒業直前、病に倒れ、生死の境をさまようこと3年。社会復帰するも、病歴以外履歴書に書くことのない彼女に、日本企業への就職口はなかった。
「同級生は良家に嫁いだり、花形企業に就職したりときらびやかな時代だっただけに、いたたまれない気持ちでした。そんなとき門戸を開いてくれたのが、外資系のモトローラ・ジャパン。英語が話せたのが評価されたようです。入社してみて驚いたのは、スケール感の違い。社員全員がアップルコンピュータを持ち、メールで世界とコミュニケーションをとっているんです。1990年代初頭、インターネットが普及していない時代に、です。
これが吉田さんとグローバルICT(情報通信技術)の出合いだった。すっかり興味の的が海外に移っていく中、カナダ人男性と出会い結婚、娘が1歳の時カナダへ移住を決意。そこで吉田さんは、再び通信会社に身を置き、営業の仕事を始めた。
「カナダに住む日本人向けの安い電話プランが大ヒット。自分のアイデアが市場を動かし大きな売り上げにつながるという成功体験にはまり、もっと大きなマーケットで仕事をしたくなったころでした。IT バブルがピークのアメリカにNTT が企業を買収し進出してきたニュースを聞き血が騒ぎました。1999年ニューヨークへ渡った時は離婚していて、娘と二人での渡米でした」
そして北米での10年間の経験を日本に伝えなくてはいけないと思うようになり2004年に帰国を決心。
自分の強さを信じることで未来が開ける
「自分のキャリアは自分のペースで自分で作ってきた。昇給と昇進のためなら会社だって国だって飛び出した」結果、4カ国5企業でのキャリアパスを経た吉田さんはその後2012年、現職であるBT ジャパン(株)の代表取締役社長に。大学卒業時に挫折を味わってから四半世紀後だ。
そんなどん底から企業のトップにまで上りつめたスーパーレディ故に、自分を冷静に分析する。
「やはり男性中心の社会ですから、待ってて与えられることはなかったんです。いつも、人が気付かないようなニッチなエリアを見つけてはそこからビジネスを起こし数字にしてきました。娘を抱えて私があの時代にここまでやってこられたのは、稼いで生きていかなきゃいけないという逃げ場のない一本の道しかなかったから。邪気なく、必死に、真剣にやれたんだと思います。男性社会だから上のポジションは目指せない、という定説もあるわけですが、本当に切羽詰まると「そんなもの信じるか!」って気持ちですね。病気の時も、海外でのシングルマザーの経験も、常識逸脱し破天荒もここまでくると「できない」が自分に通用しなくなってくるんです。人間ってすごいと思う。
本当に危機的な状況に遭うと「さーて今度はどんな知恵を使って私は切り抜けるんだろう」という強さがでてくるものです」
グローバルICT の業界が吉田さんを救い、世界に道をつけてくれたという。
「第四次産業革命という、デジタル社会と女性の活躍が期待される時代が同時に来ました。ああ、こういうことだったのかと自らのミッションを感じています。テクノロジーが私の人生を解放したようにこのテクノロジーをもって女性たちの解放が起こる。テクノロジーが働く環境のパラダイムシフトを図り、女性や多様な人材の自己実現を可能にするんです」
「理系の女性の活躍が期待されていますが、私の「リケジョ」の定義はこの時代の最新のテクノロジーを使って新たな自己実現を図る女性。どこの業界分野に身を置こうと、この技術進化を使って自分の人生を最大限に広げられる女性。これが本当のIT リテラシーというもの。テクノロジーを使えば、子育てや介護をしながら働くことも可能ですし、オフィスに来なくても仕事ができる。娘の時代にはキャリアも幸せな家庭も全て手に入れられます」
しかし、この千載一遇のチャンスをものにできるかどうかは、女性自身の覚悟にかかっている。
「自己責任のもと、自分がデザインした道を行く決心が全ての扉を開くんですね。別に命を奪われるわけではありませんし、どんどんチャレンジすればいいんです。そうやって自己実現できた時の喜びといったら!」
そのような強さのある人だけが、見たこともない未来を見ることができる、と吉田さんは言う。
死に物狂いで駆け抜けてきた吉田さんに、ひとつ罪悪感があるとすれば、それは娘に手をかけてあげられなかったこと。しかし、自分の縦軸を確立し、強さを体得したと感じたとき、吉田さんは「娘にもこの強さがあるに違いない」と思ったという。
「一緒にいられないことを不憫に思ったこともたくさんありますが、彼女の弱さを見るんじゃなくて、彼女の強さを信じようと思ったんです。彼女が体験したことすべてが強さを覚醒させるんだと。思春期など、気持ちが揺らいだ時期もあります。でもね、どんなに辛くても母親をやめることはできないわけ。私のトッププライオリティーは稼ぐことだったしそれが親としての最大の責任。そう思ったら決心がついて、ひたすら前に前に進んでいました。そりゃ、環境が許すならいつも一緒にいることが一番だけれど、それができないなら、自分が精いっぱい信じた道を生きて、後ろ姿を見せることもひとつの教育だと思うんです。これからは私が体験するすべてが彼女の宝。すべてをあの子と分かち合いたい。何よりも娘への愛がどんなに私を強くしてくれたか、そして娘がいてくれたおかげで何をも恐れず突き進むことができたママの素晴らしい人生を」
取材・文/合津玲子 翻訳/目加田みちる 写真/三浦義昭