大使公邸へ、ようこそ

Macedonia

公邸のリビングにて。背後のポスターは(左から)マケドニア最古の芸術映画作品、大使が2009年に京都・松竹撮影所で脚本を担当した時代劇映画『紫と金』、大使が心酔する小津安二郎監督の映画特集

映画監督から始まった
日本とマケドニアの物語は
まだまだ語り尽くせない

駐日マケドニア共和国大使

アンドリヤナ・ツヴェトコビッチさん

Andrijana Cvetkovik

スコピエ出身。ブルガリアの大学で映像学科修士課程修了。 2005年日本大学芸術学部大学院芸術学研究科に留学。2009年博士号取得。 日本大学、国際日本文化研究センターなどで研究を続け、2011年から2013年まで欧州シアターフィルムアカデミー客員准教授、2013年京都大学地域研究総合情報センター准教授。 2014年マケドニア外務省・大臣官房課長を経て、駐日大使館開設に伴い初代駐日マケドニア大使として日本に赴任。2014年12月より現職。

日本映画に導かれて来日

「第二の故郷である日本に何度でも恋してしまう」というアンドリヤナ・ツヴェトコビッチ駐日マケドニア共和国大使は、伊豆・堂ヶ島のこの世ならぬ美しさや、日本人の分け隔てない親切さを溌剌と語った。日本在住歴は通算11年。大使に就任する前は日本映画の研究者として京都大学などで教えた異色の経歴を持つ。

東京・品川区内の閑静な住宅街にある公邸。淡い水色のスーツ姿で現れた大使は、「和のコーナー」にある自作の生け花をうれしそうに見せてくれた。

映画監督を志した高校時代、図書館で借りた日本映画に幼い日の記憶が甦る。

「5歳のころテレビで見たのが、黒澤明監督の『羅生門』だったのだとわかりました」

公邸の一角にしつらえた「和のコーナー」には大使の生け花も飾られている
公邸の一角にしつらえた「和のコーナー」には大使の生け花も飾られている

なぜか日本に心を魅かれていた。ブルガリアのソフィアにあるフィルム・アカデミーで映像を専攻し、デジタル技術が映画産業に与える影響を研究する中で日本大学への留学を決める。

2005年に来日したが、指導教授を含め周りに英語を話す人がいなくて困ったという。日本語ができないことにはどうにもならず、語学の集中講座を受けるほか、片っ端から日本映画を見て台詞をメモした。

「小津安二郎も黒澤明も全部見ました」

やがて、彼女は留学を延長し博士課程への進学を決意。入試も研究も全て日本語だ。そして、デジタル技術から日本映画の映像表現、さらに日本の歴史や文化に興味の幅が広がっていった。博士論文のテーマは「日本映画における元型的な主題と手法―さすらい人元型と日本人の集合的無意識―」。国定忠治、清水の次郎長、宮本武蔵や『男はつらいよ』の寅さんなどを取り上げた。

その後、京都の松竹撮影所で時代劇の短編映画『紫と金』を制作し高く評価されたが、映画監督にとどまらず、研究者として教育者として、さらに人工知能などのビジネスにも関わり、日・米・マケドニアを行き来して活動してきた。

大使は自らを「ルネサンス的な人間」と表現する。狭い枠にとらわれず、幅広い分野に興味を持ち、学んだことの全てを次の新しい取り組みに結び付けるのだ。

「勤勉に前向きに献身的に取り組めばどんなことでも可能です」という言葉が力強い。将来、家庭を持つことも前向きに考えている。

外交の世界への転身

バルカン半島の南部、ギリシャの北隣に位置するマケドニアは、旧ユーゴスラビアの崩壊により1991年に独立。現政権は、才能ある若手を国外からマケドニアに呼び戻すためにも政府機関の要職について一般公募を実施している。

マケドニアについて生き生きと語る大使
マケドニアについて生き生きと語る大使
マケドニアの風物。「グレート・マザー」(右)は先史時代の遺跡から発見された。国民の70%はキリスト教徒。首都スコピエはマザー・テレサの出身地
マケドニアの風物。「グレート・マザー」(右)は先史時代の遺跡から発見された。国民の70%はキリスト教徒。首都スコピエはマザー・テレサの出身地

「外交官に興味はなかった」という彼女だが、再三の説得に応じて、2014年12月に30代の若さで初代駐日マケドニア共和国大使に就任した。大使館開設以前はマケドニアの情報がほとんどなかった日本。

着任してからの仕事は、とにかく日本人に「マケドニアのことを知ってもらい、見てもらい、五感で感じてもらうこと」だと言う。

マケドニアは人口200万人の小さな国だが、実質GDP 成長率3.9%というヨーロッパ第2位の経済成長を示す。現在12カ所ある経済特区では進出企業向けに10年間の免税措置をはじめとする優遇制度が充実し、6億5,000万人の消費者を抱えるヨーロッパ市場への入り口として有望な進出先になりうる。大使は、これまでに日本貿易振興機構(JETRO)や大使館でビジネスセミナーを開催し、500社以上の企業関係者と会ってきた。

医療や教育分野でも積極的に交流を進めるほか、観光セミナーを日本旅行業協会(JATA)などで行い、マケドニアの魅力を大使自ら、得意の日本語で紹介している。2015年にJATAからヨーロッパで最も美しい30の観光地の一つに選ばれた風光明媚なオフリド湖は新しい旅先として注目され、ここ2、3年で日本からの観光客数は60%も伸びたという。近年発見され、世界で4番目に古いというコキノ古代天文台も、先史時代から文明が栄えたマケドニアの歴史と触れ合う名所となっている。

「ビザンチン帝国、オスマン帝国から現代の二つの大戦にいたるまで、幾多の占領と民族間の複雑な抗争を経験してきたマケドニア人は、様々な相手を寛容に受け入れつつ、自分たちのアイデンティティを守るため、自ら柔軟に考えて切り抜けてきました。

映画という形で物語を語ってきた彼女は、今、大使として「マケドニアの物語」を語っているといえる。「心の底から話すことです。その人自身の言葉は人に伝わります」と語った大使は、これまでに培った知識と経験を総動員して、マケドニアと日本の架け橋を務める。

取材・文/井内千穂 写真/三浦義昭